20183.27仕事復帰②
俺が感動した職場での出来事です。
まず、仕事の出勤時間は俺の所属部署が1番早い。その後にNs、Dr…とかの順で来る。
いつも通り上司が先にいて、俺は毎回2番目に出勤するのだが、普通ならユニホームに着替えてから挨拶しに行くところ、とりあえず早く挨拶したかったのでスーツのまま挨拶しに行った。
すると、、
「大丈夫か?」とかの後に、
「今日からお前はこっちな!」と言われた場所が…
男子更衣室だった。
え?!と驚いてる間もなくよく見ると、ユニホームも男用に変わってるし、下駄箱も違う。
それだけでも十分嬉しかった。
が、まだまだ感動と驚きは止まらない。笑
少しすると最初にNs主任がやってきた。
「大変ご迷惑おかけしました。」というと
「体は大丈夫?」と色々心配してくれて、ある程度話し終わったところで、
主任が「腕出して腕!」
といわれ、言われたまま腕を出す。笑
そしたら採血だった。(びっくり)
タイで体調をくずして再入院したことは上層部の人達は知っていて、医院長(俺のところは会長なんだけど)がNsに指示してくれてたみたいだった。
(俺は申し訳ないと思ってたからホル注するところで今日中に採血しようとしていた。)
そうこうしてるうちに…
他のスタッフたちが続々と出勤してくる。
俺は一人ひとりに「長く休んでご迷惑おかけしました。」と声をかけた。
そしたら「久しぶり~」といつも通り皆言ってくれた。
それもそのはず、この時まだスタッフにカミングアウトをしていない。
朝のやることがひと段落したところでミーティングが始まる。
皆が揃ったその時にカミングアウトしようとしていた。
俺はオペが終わった頃からずっどこの日のことでドキドキしていた。
初めて信頼している人以外で、自分からカミングアウトをするからだ。だから嫌われることも覚悟していたし、信頼をまたゼロからスタートすることも避けれない道だと思って乗り越えようとしていた。
いざ、ミーティング。
回りくどい言い方はさけ、簡潔に。を心がけた結果だったが、
「約2週間突然お休みして申し訳ありません。1ヶ月前後で名前と性別が変わります。」とだけ伝えた。
突然そんな話をされたらびっくりすると思ったけど、何処から話せばいいのか分からなかったし、性同一性障害から言うと話が長くなるからあとは質問されたことに対して答えようとしていた。その時、精一杯言ったから泣きそうだった。
だが、スタッフから返された言葉は…
「もう知ってるよ!」中には、「気づいてたよ!」の言葉があった。
俺はこのときまで知らなかった…
スタッフ全員、既に俺が性同一性障害であったこと、性転換+胸オペでタイに行っていることを知っていたのだ!!
人生初逆ドッキリを仕掛けられた!
俺は意を決してカミングアウトしたつもりだった。
逆に「もう知ってるよ!」は予想外の言葉で、そこにはいつもの明るいスタッフたちがいた。
びっくりしすぎて声が出ないとはこの事か!
と思うくらい俺は声が出なかった。
ミーティングが終わり、
後になぜ知ってるのかスタッフに聞くと、
上司が前もってタイに行ってる時、オペが終わってメールをした日、事前に長期で休んでいる理由として軽く話してくれていたのだ。
そのお陰もあって俺はカミングアウトした時、引く人、驚く人、偏見を持った人、距離を置こうと思った人…いろんな人がいると思ったし、それを含めて覚悟して在職トランスをしたつもりなんだが…
その場既に受け入れてくれいるスタッフたちがいた。
上司に軽く話しておいてほしいなんて頼んだのではなく、タイに行く前上司が、「こっちのことは俺に任せろ!」と言われていたが、この事だったとは…とこの時知った。(感謝)
それを知ったスタッフたちは、不振がることもなく、むしろ半分バレていたようなもんだったが、俺の中では隠してるつもりだったw
だからタイから帰ってきてからも行く前と変わらず同じ接し方をしてくれた。
で、その午後…
採血の結果が届く!!
早くね?!と思った。
なぜなら、採血の結果は2.3日しないとわからないのだが、朝7時に採血し12時に結果が送られてきたのだ。
それもそのはず、医院長(会長)権限でどの患者よりも先に結果をくれと頼んでくれていたのだ!!
医院長ってすごい。会長ってすごい。
(ちなみに会長とは、病院創立してる一番偉い人のこと。グループだから他にも医院長がいるが、その方々よりも上。病院のトップってことだ。)
そんで、結果出たら直々に会長の診察が始まって、「問題ないな~」の一言で終わった。笑
ついでだがその夜…
仕事終わりでしんどい中向かった先は泌尿器科クリニック。笑
そう、オペからちょうど2週間のたったからホル注再開したのだ。
打つ前にホルモン値見たかったからそれだけ泌尿器科で採血した。
だからその日2回も採血して大量に血をとられた。
この日打つのはネビド。
左だけ染みるような痛さで右はそうでもなかったな!
2018.3.27 仕事復帰①
この日から仕事復帰!
3/10(土)-3/26(月)まで休んでおり、
3/13(火)オペしてからちょうど2週間後の3/27(火)に復帰した。
上司の好意で、休みを日月にしてくれたので、火曜日からの復帰だったが、火曜日から土曜日まで5連勤でもあった。
毎日、体調や変わったことがないか連絡が欲しいと言われていたので、再入院のことも含めて伝えてあった。
だから復帰するとは言っていたが、再入院のことを考えると、3月いっぱいは休ませようかという話が上層部の中だけで行なわれていた。
俺は、傷の具合、体調、仕事をする気でいること…全てのことを伝えたあとで、上司の判断に従います。とメールで伝えた。
仕事復帰する決断は、復帰前日の夕方にまで及んだ。
しかし、俺は迷惑をこれ以上かけられないと思ったし、仕事も忘れたくなかったから一日でも早い復帰を望んでいた。
また、上層部の方々にしか休んでいる理由を話していなかったため、他のスタッフに不審がられていると思っていたから尚更早く復帰がしたかった。(上司と話し合った結果、スタッフには帰って来てからカミングアウトすることになっていたからだ)
結果的に、予定していた日に復帰が出来た。
仕事に来て無理そうだと判断した時は+1週間は休ませる方向だったそう。。
知らなかったがそうならずにすんだ…
病院勤務だが、男性はスーツ出勤、女性は私服だった。
俺は女として通勤していたのでもちろん私服に女性更衣室、女性の下駄箱を使用していた。
復帰初日、上司にスーツで行っていいですか?と訪ねると、お前はどっちでもいい!と言われたw
投げやりの感じもしたが、俺は復帰初日メンズスーツで行った。
この後、職場の人達の優しさで感動と驚きの連続だった。
仕事復帰② へ
続く
2018.3.26 裁判所へ
ようやく裁判所へ!
10時くらいに行く
名前変更と性別変更を同時に提出。
横浜の場合だが、名前と性別の担当部署が別だと言われた。だからもしかすると、名前変更にはホル注するときの性同一性障害の診断書を後で提出するように言われるかもしれないといわれる。そうすると時間がかかるから、今後横浜の裁判所に行く方は前もって持ってった方がいいと思う。
まぁ、俺の場合結果的に必要なかったが!
他のブログの人も書いてるし、調べれば出てくるから書く必要もないと思うが持ち物として、
[名前変更]
・申し立て用紙
・収入印紙800(俺は郵便局で買った)
・切手(82円×5枚 10円×5枚 )←横浜の場合
・戸籍謄本(全部事項証明書 現在のだけ)
・使用実績(俺の場合、ICカード定期 仕事の勤務表 ネットの領収書 メンバーズカード等)
・性同一性障害の診断書のコピー(改名のみの人、横浜の裁判所に改名と性別変更同時に出す人)
[性別変更]
・申し立て用紙
・収入印紙800
・切手 (500円×3枚 82×10 50×1 10×5 2×10 1×5=2445円だと裁判所の人に言われて買ったが、実際余って570円分くらい戻ってきたw)
・診断所 1st 2nd
・戸籍謄本(生まれた時から現在までの連続したもの)
・英文の手術診断書のコピー(タイでやった人は)
・とその和訳(自分で何でもいいから白紙に和訳を書いてほしいと裁判所の人に言われてたからw)
・住民票の写し(これは任意的なもので横浜の場合、神奈川に数箇所ある裁判所の中で、本当に横浜の裁判所に提出する場所があっているのか知るために、それがあると向こう側からしたら時間がかからないのだとか。実際、俺の友達がちょうど1週間前に名前と性別変更同時で横浜裁判所に出したが、出す裁判所を間違えて、住民票の写しもなかったから俺が改名終了した2週間後にようやく変更することが出来た。)
と、まぁこんな感じです!
直接裁判所に持ってく方は、シャチハタ以外の印鑑あるとなお便利!
申し立てをすると、
「平成30年の〇〇〇号の申し立てを行います。」みたいな紙を書くんだが、それに印鑑を使う!ボールペンも使うがその場にあると思う!
俺は名前と性別同時なので、2枚同じのを書き、〇〇〇号という数字だけ違う。
もし何かあれば、平成30年の〇〇〇号について、と問い合わせすればどういう裁判なのかが分かるようになっている!
俺は実際何回かそれで電話した!
10時に行って終わったのは11時すぎ!
割と裁判所って人いるんだな、と思ったし、俺の番になって提出書類に不備がないかの確認で再び待たされ、結局1時間以上かかった😂
ようやく終わって帰宅!!
次の日、3/27 仕事復帰
続く
2018.3.23 1st 2nd診断書
本当なら、3/22(木)の夕方に帰国してその足で1stを取得し(行くところはタイに行く前から決めており、その精神科の先生に手術証明書の英文をもらってすぐタイから写メってメールすれば帰国した日までに作ってくれると言われていたので帰国した日にもらえることになっていた)、8/23(金)午前中に2nd取得し(1ヶ月前から予約していた)、午後に裁判所に提出する予定でいたが、乗る予定のフライトが飛ばなくなったのでその予定が狂った。
まぁ何がともあれ過ぎたことは気にしてもしょうがないってことで気を取り直して、
3/23(金) 午前中1st取得へ
夜中に帰ってきてそうそう早起きして1st診断書を求めて都内へ行くが体調優れてないから行くまでに一苦労w
切開の傷が痛み自然と猫背になり顔がひきつる。
精神科に着き、その先生に空港の出来事があって1日遅くなったと話し、午前中の2ndの予約もキャンセルしたことを言うと、先生が直接そこに電話してくれて、午後に無理矢理予約を入れてくれたのだ!!
なんていい先生😭
ということで、1st取得後、2ndもその日のうちに取得ができた!!
1st.は、性同一性障害の診断書並びに英文診断書をもらったところでもあり、1stだけで約23000円!
2nd.は初めて行ったところだったので、初診料+2nd診断書で約8000円
だったと思う!
無事に裁判所に提出用の物が揃った!!
3/26(月) 裁判所へ!
続く
2018.3.22 帰国 最後の最後まで…
8:00フライトだったので
5:00に着けるよう4:00にアテンドの方のお迎えが来た。
体調は病院の時よりましになった。
しかし、まだフラフラではあったし、横になっていたかった。が、そんなことは言っていられない。
タイから日本まで8時間は座っていなきゃ行けないからだ。吐いたらどうしようとか色々考えていたが気力で乗り切ろうとしていた。
4:00 アテンドの方がお迎え
5:00 空港に到着
チェックインする前に荷物を預けようとしたので荷物のところに並んでいた。
そしたら、アテンドの方が止めた車が路駐で、ずっと止めてたらまずいから車へ戻ると言って荷物の預け方とチェックインの方法を口頭で聞きすぐ別れた。
そしたらこのあと大変な事態になる。
まず、荷物の所に並んでいざ自分の番になり預けようとしたら英語で、預けられないと言われた。
え?!となったがとりあえず冷静に…
ならチェックインしてからにしようと思ってその場を離れた。
しかし、チェックインしようとしても中々チェックインが出来ない。
やり方はあってるはずなのに…
とりあえずアテンドの方に電話。
案の定運転してるせいか電話には出ない。
こうなったら自力で何とかしようと思った。
慣れない英語でそこら辺にいる案内の人にチェックイン出来ないことを伝える。
そしたら確認するから〇番の場所へ言ってと言われ、その指示に従う。
その場所で聞いたところ、俺が予定していた成田空港行のフライトが欠航になったそう。
嘘だろ?!と思った。
俺はフラフラで、気力で歩いてそこまで行ったのに帰れないとなるとこれはまずいと思った。
そこでその日、日本に帰れる便で空いてる飛行機がないか聞いたところ、15:00の羽田空港行なら空きがあると言われた。
俺はそれでもいいと伝えた。
しかし、5:00に空港に来て、早くも6:00、15:00までどうするかというのが次の問題になった。
そしたら向こうから欠航になった謝罪として、お詫びのお金?+時間までの部屋を用意します。と言われた。
そういう時のために空港の中にホテルが備わってるのは知らなかったが俺はその部屋の場所が書かれた紙とお金(バーツ)を受け取った。
その後、無事チェックインと荷物を預けることが出来、空港内へ入ることが出来た。
本当は空港内でお土産買いたかったが歩いているのがやっとだったためお土産に一切目を向けず、ひたすら部屋へ向かって歩いたがめちゃくちゃ端にあって遠かった😂
部屋に着いたらVIP対応で、部屋にはテレビ付きのシングルベッド 部屋着もあってシャワーもある。飲み物食べ物はカウンターに行くと全部無料。WiFiも!とにかく不便ではなかった。
俺は時間までそこで横になることが出来た。
15:00ようやくフライト!!
23:00 羽田空港に着く
俺は無事帰国できてホッとした。
最後の最後まで色々あったタイ旅行だったけど、人として少しは成長出来たと思うし、こんな経験出来て良かったと思う。
23:00に空港に着いたが、荷物を取りに行くと全く自分のが出てこない!!
それもそのはず一番最初に出したんだから一番奥にあるんだな~と思って待ってから40分…
ようやく荷物が出てきた!
俺の最寄りの終電まで10分前!!
切開の傷が痛い中、小走りで空港から電車に向かう!!
終電に間に合った😂
25:00前 ようやく家に帰れました。
2018.3.18-21再入院
ここからの入院は性転換のとは別料金。
そのため日本人のあの大きな部屋ではない。
1日 1人部屋なら約1万円
2人なら約5千円
4人部屋は空いていなかった
外人の病棟ではなくなるので、毎日タイ料理なんだとか(アレルギーのものは聞いてくれる)
で、俺は2人部屋にする。
2人部屋を選んだが、その日はもう一人いなくて1人だった。
その日、薬と点滴で寝る。
3/19
起きたら隣に新しい患者が運ばれていたw
朝 血圧 熱測定 体調を聞かれ、あんま良くないこと、下痢が止まらないことを内科の先生に伝えると、抗生物質が強すぎたせいではないか…と言われる。
日本のよりタイのは抗生物質が強いんだとか…
それを早く行って欲しかった😱
俺は日本の薬でも強いのだと下痢などの副作用が出てくるからそんなに使わないのに…
ということでこの日からようやく薬を変える!
7:30 朝食
8:00 薬飲む
9:00 朝食回収
あとは覚えてないので昼も夜も前の入院の時と似たような感じです。
再入院後、病院食で、チャーハンが出たんだが俺はこのチャーハンがタイの病院食の中で1番うまかったと思う!
粉薬は日本と違い、水の入ったコップの中に粉をとかしてそれを飲む。
だからクソまずい。
看護師が、コップの水がなかったからってピッチャーの水300mlほどの中にぶち込まれた。
それを全部飲まなきゃ行けないのにあれは本当にふざけんな!と思った。
3/20
まだふらふらするなら日本に返すけには行かないと言われる。
いや、俺は帰る!と思ったが心の中でそれを言う。
3/21
内科の先生から最終確認、体調を聞かれて大丈夫!と伝える
俺は日本食を求めていたし、長く入院してもご飯はおいしくないからこれ以上体力回復しないと思った。
だから全力でアピールした!笑
そのかいあってか、退院の許可を出してくれた。
日本に帰っても分かるように、血液データと紹介状的なを英語で用意してくれた!
そして俺は3/21 14:00退院。
ようやく開放された。
体力低下でフラフラ…しかし、体力を戻すにはご飯を食べようと思い、ホテル近くに大戸屋があったからそこへ駆け込む!!
日本とは若干違かったけど、それでもうまく感じた!
total入院費はいくらかかったのかわからない。
なぜなら、海外保険に入っていたため、初めは自分で払うと思ったが、ヤンヒーで唯一海外保険の対応してる会社が俺の入ってた保険と同じであったため、海外保険会社から直接ヤンヒーに払ってくれたのだ。
恐らく5万くらいだと思う!!
03.22帰国
2018.3.18退院→再入院へ
お久しぶりです。
iPhoneが壊れたりでブログに入れなくて更新できなくてすみません。
下書きでかいてあったものと覚えてる範囲の+αで載せます。
退院日!
5:00 血圧測定
6:00 ベッドメイキング+風呂
7:30 朝食
8:00 薬渡される
8:00-9:30の間に胸オペと産婦人科の先生の傷の診察
9:30 朝食の片付け
10:00 アテンドさんがきて退院手続きの紙を3枚ほど記入
1枚はヤンヒーのアンケートだった!
11:30 昼食が最後に出る
12:00 薬渡される
食べ終わったら待合室にいてとアテンドさんに言われたから荷物まとめて待合室で待つ!
この日俺以外に退院する人があと2人いて、待っていた!
待ってる間に、前日入院の時に色々検査が被ったFTMの人がいて、仲良くなる!
シンガポール人で向こうが英語で話してくれてるのに俺は全く出来ずに大変だった…
もっと英語話せたら…とこの時後悔。
オペ日一緒なのに退院は1日向こうのが遅かった!!
タイに行って、シンガポールの人と仲良くなれて嬉しかった!
またいつかどこかで会いたい☺️
13:00 ようやくあとの2人が待合室に!
そこからアテンドさんの車でホテルへ!
15:00 渋滞でようやくホテル到着!
日本と違って土日は空いてるらしい!
ホテルの部屋に行ったら、お風呂はガラス張りでキングベッドに自炊スペースがあって、タイに来た初日と同じホテルなのに階が違うだけでこの違いか…と思うくらいVIP気分だった!笑
で、部屋入って一通り見たあとすぐ近くのショッピングモールへ
日本の友達がおすすめしてくれてたココナッツチップスが置いてあるスーパーへ向かう!
このココナッツチップス職場に持ってったらめっちゃ好評だったからタイへ行く方は是非☺️
値段はたしか30円くらい!
水 リポD(タイバージョンの) お菓子(日本のも置いてあるが日本の2.3倍の値段はする) を購入して
スタバ寄ってからホテルへ
スタバは思ってた通り日本のより甘い😅
全く飲めずにホテルで捨てたw
帰ってきて風呂はいってたらだんだん調子が悪いことに気づく…
まぁショッピングモールの時からぼーっとしていたんだが、それは久々に動いてるからだと思って気にしていなかった。
しかし、風呂入った途端立てなくなった。
自力で風呂を済ませ、ベッドの上で安静にして仮眠を取る。
2.3時間寝れば少しは良くなると思ったがそれが悪化😂
21:00
吐き気 めまい 貧血気味今にも気を失いそうな感じで気が遠のいてく感じがして立てなくなった。
迷いに迷った末 23:00
アテンドの方に状態を連絡。
するとすぐ電話がかかってきたのでそれをそのまま伝え1度電話を切る。
数分後
病院の先生に直接連絡を取ってくれたらしく、すぐ病院へ来るようにと言われたということで
30分以内でお迎え行くから荷造りしておいてと言われた。
23:30 アテンドの方がホテルへお迎え
24:30 再び同じ病院へ
車から降りる時全く立てずにタンカで移動!
救急の内科の先生に診てもらう
とりあえず採血 尿検査 点滴(同時に吐き気止め)をされる。
左利きと英語で伝えてるのに、Dr.は笑って左に点滴を刺されるw
怖すぎだろと内心は思ったが体はそれどころじゃなかった!
1時間くらい?で結果が分かり
そしたら感染を起こしていて再入院することに。。
まぁオペ終わって初っ端熱でご飯全く食べれなかったこと、まずくてその後もろくに食べずに過ごしたせいで、結果免疫力低下して感染したんだなと思うと納得した。自業自得ってやつだ。
続く